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入院するまで(H21.2-3)

*もうすこし長めのリアルな感想がBLOGにあります。気になる方そちらもどうぞ。

11月に入院予約を入れてから4か月。大学病院の順番待ちは平均半年らしく、また自分自身の仕事や通っていた大学の予定などもあり、3月に入ってからしか手術することができませんでした。


2月後半
 UCの通院日。先生に採血の結果、ヘモグロビンの数値とFeの数値が非常に低く、貧血気味であるから、手術までにフェジンというぶどう糖注射をして貧血防止につとめなさいと言われる。この日から毎日近所の町医者でフェジンを打ってもらう。10日くらい打ち続けました。

2月27日
 手術できるかもと電話がかかってきた。でも個室だったら部屋が開いているとかで・・・。1日1万円の個室はきつい・・・。どこかのホテルに1泊1万じゃないんだから・・・。しかし先延ばしに出来ないのでお願いする。とりあえず3/2に検査するからきてとのことだった。

3月2日
  採血、尿検査、心電図、吐く息の強さ判定、股関節X線、自己血400ml
 最初診察券を機械に通すとぐわあわわわと長いレシートがでてきて、採血なり、尿検査なり文字が羅列してあった。尿検査はここの病院では初めてである。しかし尿検査は車椅子が入れないトイレであるので、残念である。その後ホースみたいなところに思い切り息をふきかける検査に梃子摺った。イメージとして5本のろうそくの絵がコンピュータ上に出てそれを消すのにすってーーー、はくっ!みたいな感じで言われるのであるが、自分の息の弱さには自信がある。たとえば海でおぼえた人がいて人工呼吸をしたとしてもわたしの息では、生き返ることできまい・・・。声量だってないもんな。そして心電図。そしてCRPが0.2ほどであるし、フェジンを頑張ったからなのか11にヘモグロビンが上昇していたのでOKであるので、自己血をとってくれとのことだった。了承して自己血の時間まで待つことにする。
 自己血の時間まっていると400ml血をとることがとっても怖い気になってくる。二人の看護婦さんがいたが、どちらもとても大丈夫よと安心させるようにいうのだが、必要以上に丁寧なので逆に怖かったりする。400mlとるのも40分くらいかけてゆっくり取った。これは成人男性であれば10分くらいでとるとのことだ。大体冷蔵庫で4-5度くらいで管理するけど、1カ月くらいしか保存できないとのことだった。しかし他人の血を入れるよりは絶対に良かろう。特に気分は悪くなかったが、家に帰って若干つかれたような気がした。単に病院疲れかも。


*もうすこし長めのリアルな感想がBLOGにあります。気になる方そちらもどうぞ。

さていよいよ入院することになりました。
  スケジュールはこんな感じで進んでいきました。
  日付に下線が入っているところをクリックすると、詳しい日記が見れます。
  左よりカレンダーの如く、日から土の順に並べています。

3月8日 9 10
入院開始
  
11
麻酔科
リハ科
受診
12
毛剃り、術前最後のお風呂
13
手術日
14
血栓注射
開始
15
血抜きの管とる
16
ベッド上
90度可
17 18
ベッド端に座れるようになる
19
車椅子可
20
21
自力トイレ可
22
髪洗う
(2回目)
23

24
抜糸
25
リハビリ
開始
26
松葉杖可
27
お風呂開始
28
血栓注射
終了
29

30

31
階段昇降の練習
4月1日
初・外泊
2
3
リハビリ
お休み
X線撮る
4
5 6 7
普通の
靴下OK
8 9 10
退院

3/10
  外来→採血、胸部X線
 正直この日非常に風邪をひいていたのである。とにかく行って採血、胸部レントゲンをする。肺炎にかかっていたら当然のことながら手術が出来ないからだ。CRPは2.2、しかし胸部レントゲンに異常なし。ということで出来るやろとのことだった。しかし自己血は手術後の弱っているときにそういう細菌の入った血を輸血するわけにはいかないということでもう先日採血した400mlのみで決行することになった。大丈夫か貧血。
 入院後手術説明は16:30ごろだった。先生はセメントで私の大腿骨の模型を作っており、すでにカッターか何かで切られた後になっており、こういう風に回転させるとモデルを教えてくれた。その横にこれが前切った男の人で、と男の人のモデルがあったのだが、私のに比べてかなり丸い部分が大きい。それだけ骨太ということだ。私のなんか親指くらいの太さしか骨がない。骨がもろいのだ。そして骨の首が長いということが前からいわれていたが、確かにと思った。普通は1.5センチくらいだと思うのだが、私は3センチは確実にある。私のふつうの首も人に比べてとても長く、かげぼうしなどをすると首の部分がかなり出ててキリンみたいになるのだが、実は大腿骨の首まで長いのだ…。それで回転が難しいから、足が2センチ前後短くなる可能性がありますとのことだった。まあ前から聞いていたことで、人工関節にするか否かもはっきりいってとても迷っていた項目のひとつである。びっこを引くということが実際にどうなるかということだ。背は高いので2センチ短くなったところで別によいのだが、左右違うとなると。まあいずれ右もせなあかんので、その時に合わせたらいいといえばいいのだが。それでも1年くらいブランクはあるだろう。まあとにかくそういうことを書いた同意書にサインする。


3/11 麻酔科受診、リハビリ科初診
 麻酔科で麻酔の副作用にはこういうのがありますというビデオを見て、その後麻酔科の先生と面談する。何十万人に1人くらい麻酔から目覚めないということがあるらしい。それになってしまったらどうしようと思う。その後リハビリ科に行って術前の可動域を測定する。リハビリ室はとてもふるい感じである。


3/12
 毛剃り、術前最後のお風呂
 三角ゾーンに加えて、とにかく手術の足は感染防止のためにつま先まですべて剃らなければならないらしい。手術の足だけ剃ってるっていうのもいやなので、両足つつがなく剃る。凄い強力なバリカンを貸してもらいました。ちゃんと剃られているか看護婦さんのチェックあり。夜は夕ご飯後絶食、24時から絶飲とのことで、ドキドキもせず普通に過ごしていました。


3/13
手術当日
 とりあえず朝食抜きなので非常におなかがすいている、おなかがすいていると思いながら朝の時間をやりすごす。飲み物もだめなのでそれがきつい。10時ごろよりソルデムを点滴し、血栓防止ストッキングをはく。これがちょっと締め付けるようで痛い。そして昼ごはんもまた横目で見ながら食べられない。12:30にスタートするとのことだったのだが、前の人の手術が行われていたので、ちょっと押して、私は13時に決まったので、と連絡がある。
 手術場までは車いすで行くので、と3階の中央手術室にいくと、そこで手術用の車いすに乗り換え。中は迷路みたいになって、ナンバー10まで手術室があるらしい。
 手術室までいくと、手術台に寝かされるのだが、麻酔科の先生がまずスタンバイ。そこで麻酔のモニターが上手く機能せず、始めるまで結構時間がかかった。横にあるホワイトボードには私のレントゲン、アイソトープの画像などがある。RI=ラジオアイソトープの画像、久々に見た。で、先生が来た。先生は白い巨塔みたいに手術着を来て手袋をして、私に向けてピースサインをしていた。今更ながら医者って凄いと思う。壊死部分を回転させてビスでとめて、と凄いと思う。どこをどうやって肉の中を切り分けて骨を見つけ出し骨を切ってなおかつ血管をまたつなぎとめるのか、ということだ。そんなわけで、モニターも回復したらしく、じゃあ今から眠れるお薬いれていきますね、というわけで私は最初かたくなに目を見開いて麻酔への対抗心をもやしていたのだが、すぐに記憶がなくなった。
 …手術中…
 ●●さん終わりましたよーの声で目覚める。エ!もう終わったんとのことでした。とにかくいろんな管が体の中に入っていることはわかるのだが、とりあえずもう終わったん!まだ心の準備が、、と思っていた。そしてベッドにのせられ、エレベーターにのせられ、ICUもどきに入る。この辺めちゃ覚えているのだが、覚えていない患者は結構多いらしい。そして足の長さ自分ではかってみても(もちろん寝たままですりあわせてみただけ)長さはさほど変わっていないように見える。すると親がきて、先生が足の長さを一緒にしてくれたらしいよ、とのこと。感謝感激。先生もきてちょっと手間取ったとのことだった。何故なら4時間といわれていた手術は実に6時間半かかっており、今はもう19:30くらいとのことだった。エエーである。そして呼吸器をつけたままの私はそれでも先生に「えしは…」壊死がどんだけひどかったか聞きたかったのである。先生は壊死は結構大きかったといい、じわじわ出血するタイプらしく800-900mlは出血したとのことだった。そんな感じで、今から6時間後にごはんが食べれるとのことだった。麻酔の影響で止まっているお腹が動くまでだめなんだそうだ。最初は37度くらいだったのだが、そのうち熱くなってきて38.5分くらいになった。暑すぎて自分で呼吸器をはずす始末。というわけでこの6時間は全く眠れなかった。そんな感じでやっとこさ夜中の2時になり水分が補給できて安心して眠りにつけたのである。


3/14
 術後1日目、弾性ストッキングはく、血栓防止注射開始
 朝食が運ばれてきたけれど、当然のことながら、手術後の消耗していてあまり食べれない。ほとんど食べてないのだ。お腹はすいているはずなのに、手術ってこんなに消耗するものなのかと思う。もちろん先生だって消耗するだろう。血栓防止のために足モミモミ機械をつけているのだが、これがかなりこそばい。そして身体をふいてもらう。そしてICUもどきを脱して自分の部屋に戻る。といってもICUとの違いはテレビが見れるくらいの利点しかなく、とにかく熱があがったり下がったり、抗生剤を点滴したりフェジン注射を点滴したりでしんどいのだ。しんどいしんどいしんどい、と思い続けた日だった。血栓防止注射というのもおなかにするのだが、これがいたいいたいいたい!14.15日はほとんどビタミンウォーターとポカリしか飲んでいませんでした。しんどすぎる。弾性ストッキングはちょっときついめのストッキングで、膝上くらいまで右足(手術してない方)にはきます。手術している方は包帯を巻いて、若干しめつけ感あります。この日より4/7まで毎日これをはかなければならず凄くしめつけられていました。


3/15
術後2日目 血抜きの管とる
  血抜きの管が左足からベッドの柵にくくられており、それを取る。これは自分のは見れないのだけれど、起き上がれるようになってから同室のほかの患者さんの管がつながれてるのを見てわかる。容器に血がたまっている。それから先生がきて傷口に消毒して、デカいガーゼが股関節にあてられてる。これが大きすぎるかと・・・。

3/16
術後3日目 ベッド上90度可
 続・足モミモミである。正しくは、間歇的空気加圧装置といい、血栓防止の装置であるのだが、この辺から足に若干ながらも力が入るようになってきたので、とりあえず手術してない方の足だけはずしてもらう。これかなりこそばいのだ。そして血抜きの管をとってもらう。血抜きの管というのは、足にチューブがまだつまっており、ベッドの端に尿の管みたいにくくりつけてあって、血がたまるようになっている。これもとってもらう。なんとなくスッキリである。そして先生が来たので、無理やり座るー!といってベッドのへりに座らせてもらった。どんな感じかといえば足がつっぱって痛い。それに背がふにゃとなって完全に座らされている状態。赤ちゃんを無理やり座らせたみたいな。とりあえず背中が痛かったのであり、寝すぎて。そんなわけで一応座らせてもらったのだが、まだまだ不安定であった。しかし一応満足。この日からだんだんひとりでしっかり食べれるようになってきた。大分熱も微熱になり、回復してきたのだ。


3/18
術後5日目 ベッドの端に座ってみる
 昨日は先生の外来日だったのだが、いつも先生は水曜日出張らしく、その部下であるKK先生にたのんどくわ、ということで座らせてもらった。月曜日よりかはかなり上手く座れるようになったと思う。背もたれを作ってもらい、ひじ置きを作ってもらいでそれでもやっとこさ感は否めないが、だいぶ進歩なり。またもや消毒をする。傷口からはもう汁がほとんどでてなくてキレイやわーと言われる。


3/19
 術後6日目 車椅子可
 朝から先生が来たので、「昨日座らせてもらったー」と話していると、車椅子座ってみる?とのことだった、ので座ってみる。とはいってもまだおしっこの管がついているので、管を車椅子にくくりつけるのは自分でできず、かといって車椅子にもすぐに座れない。手術した足は鉛のように重く、足おきを右の足で交差しておろさないと乗ることもできん。しかし車椅子乗ることできたー!わーいということで嬉しくて1時間くらい乗っていたが、限界。車椅子というのは非常に疲れるので、そんな長いことも乗っていられないのだ。しかし普通は土曜日くらいから車椅子なので今のとこかなり早いペースで回復してきつつある。先生もこのペースは速すぎというくらいらしい。先生によって色々なことをやらすのがやっぱり遅い人と何でも早い人がいるみたいで、私は何でも早くやらせる先生でした。


3/21
術後8日目 自力トイレ可
 おしっこの管はずす、ということでこれからは自分でトイレにいかなくちゃいけない。しかしおしっこの管は簡単にはずせるようだった。しかし簡単に抜けてはいけない作りになっていないとねえ。これを長くつけすぎると、尿意がないものだからおしっこの機能が麻痺してしまう人がいるらしい。わかる気がする。本当に尿意をもよおさないものだから、いっぱいおしっこ溜まってますねーなんていわれても、いつ出しているのかわからないからだ。しかしはずして3時間後くらいには普通に自分でおしっこにいくことができた。機能は麻痺していなかったのだ。よかったー。それでもまだ車椅子でトイレにいくので、部屋にひとつずつついているトイレには行けず、車椅子専用トイレにいく。うちの病室からは目の前だ。この病室は股関節の病気の人ばっかりで、股関節の人は車椅子用トイレが必須だからこの近い部屋になってるんだろう。先生がまた消毒にきたけれど、相変わらず傷口はキレイだねとのこと。普通は2週間ぐらいは汁がずっと出ている状態らしいんですが、もうほとんど出てないとのこと。


3/22
術後9日目 髪と足洗ってもらう(2回目)
 看護婦さんにに髪と足をを洗ってもらう。毎日身体をふいてもらっているのだが、髪と足は5日に1回お風呂場で洗ってもらえる。この前は3/18にしたのだが、車椅子にのれなかったので、ベッドに寝たままお風呂場にいって寝たまま洗うということが行われた。そういうベッドが入れるようの広いお風呂場があるのだ。今回は車椅子にのって、洗面所までいって、それから美容室にあるような背が倒れる機械で頭を洗ってもらう。気持ちいー。それから足を水でじゃぶじゃぶする。ひざまでだけど、全然気持ちいい。早くお風呂に入りたい。洗ってもらったのはこの2回だけで、次からはお風呂に入れるようになった。


3/24
術後11日目 抜糸する 
 抜糸するといっても、自分は横向きに寝ていたので一切見ていないのだが、ピンセットばさみのようなものでチョキンチョキンと切って行く音が聞こえた。切られる時はちょっと痛みがあるけれど、そんなに痛すぎるものではないから大丈夫。そして消毒をして終わった。


3/25
術後12日目 リハビリ開始(月〜金まで毎日20分、PTの先生と)
 この3日間は消毒などをしてもらいながら、横に回転するのもラクになってきた。ちなみに回転するのには、ひとりではできなくて、Σのようなこういう機械を使って足をはさんで、よいっしょっとと言うような感じで横になる。進歩、いや進化とよばざるをえない。足も股関節にかなり力はいるようになって、思い切りのばして内側に曲げる練習や、足を常に動かし続けるように頑張る。大体一日20回×5セットくらい。そして今日からリハビリにいけることになり、まずは先生とお話だけ。前に1回あった先生に10日ぶりくらいに見たなーといわれる。そうですこの10日間は私にとって地獄だったのです!と言いたいところである。PTの先生は50代くらいのおっちゃんだったが、褒めて伸ばす教育なのか終始いいよーうまいねーなんて褒めてくれたりしたので、私も最後まで全然リハビリが嫌だとは思わなかった。看護婦さんによるとリハビリが嫌で逃走する人がままあるらしい。


3/26
  術後13日目 松葉杖開始 
 リハビリ開始でさっそく松葉杖を使うことになる。クララがたった!的なことにはならず、普通に歩けたのには感動もない。1/3加重というのが、その足にとってどれくらいの重さかというのを足に覚えさせなければならない。それが結構難しいのである。というわけで帰ってからもナースステーションの前にある体重計にのってふんふふん、と重さを覚えさせる。今までまったく比重をかけてなかった6カ月ですから、比重をかけるというだけでも結構怖い。


3/27
 術後14日目 お風呂開始

 やっとお風呂である。抜歯したからだ。とはいっても、まだマジックハンドを使いながらやっとパンツが自分ではけるかはけないかくらいなので、当然お着替えからして人に手伝ってもらわないと無理だった。まず病室で裸になってゆかただけまとった感じにして、車椅子に乗る。そのままお風呂場にいって、洗い場まで車椅子でいく。そこでゆかたをぬいで裸になって、お風呂椅子になんとか座って洗う。終わったら呼び出しボタンをおして看護婦さんに迎えに来てもらう。で、またゆかたをまとって軽く拭いてそのまま車椅子で病室にいく。そしてベッドの上にまた座って、それからパンツをはいていく、服をきていく、とこんな手順です。そんなわけでなんやかや1時間以上もかかる。お風呂に入るだけで本当に疲れた。


3/28
術後15日目 血栓防止注射終了
 やっと血栓防止注射が終わった。毎日夜20時におなかにさす注射。これはきつかったー。隣のベッドのおばあちゃんは毎日2本ずつ打ってたが、前のベッドの人は最初の1日だけで、あとは全然打っていなかった。いったいなにものなのだろうこれ。それより昨日はじめてお風呂OKで、でかでか股関節にはっていたしたガーゼもとってシャワーで入ったのだけれど、朝起きたらパジャマにめっちゃシミが。つまり手術した切り口から汁がもれてたわけです。うぎゃーとなってびっくりした。汁は普通に黄色かった。なので、先生にいうと、もう一度ガーゼをあてて、上からシールみたいなのをはって水に触れないようにしてお風呂に入ったら大丈夫だとのこと。


3/31
術後18日目 初・外泊
 もう月曜日くらいから外泊熱が高まっており、外泊外泊!と思わずにはいられなくなっていた。火曜日の朝に先生にいくと、そろそろそう言いだす頃だと思っていたと言われた。仮OKがでた。階段の練習してからね、とのこと。そしてリハビリでしてもらった。上がる時は先に杖、降りるときは先に悪いほうの足、である。なにかの標語みたい。しかし、本当まあ帰りたい、と思えるまでに体が復活できたということが大きい。あの悪魔の1週間から松葉杖で立てるまでに回復したのだから。というわけで明日の朝リハビリ終ってから帰ることになった。
 〜外泊編〜
帰ってみたものの、認識の甘さを露呈することになる。術前松葉杖をついていたレベルが5だとするとレベル1くらいなのだ。家の中は段差がありやはり歩きにくい。


4/3 
術後21日目
 初めてリハビリがお休みの日。足は70度くらいまであがるようになったが、まだまだらしい。というのは、やはり寝ている状態で足をつかもうとするとかなり無理があり、右の屈曲に比べて50度は差があるからだ。根気よく続ければ必ずできるようになるとの主治医。信じるしかなかろうよ。膝が痛いのX線をとるが特になにもおこっていないとのこと。股関節のX線(2回目)は順調とのこと。


4/7
 術後25日目 普通の靴下OK
 やっと弾性ストッキングから普通のストッキングOKの指示が。長かったー。もう一つ買うのがもったいなかったので、一つを毎日洗った自分えらいっ!ちなみにこれ1足(片足)3000円くらいするのだ。また手術するかもしれないからとっておこう。


4/10
 術後28日目 退院
 そして、退院する日の朝が来た。入院32日目の朝が来た。先生と最後のお話で、右足がちょっと(壊死範囲が)うつってきたとのことだった。ステージ1かときくと、ステージ2の初め、とのこと。おいおいレントゲン撮ったの先週なのに!それとも言ったら落ち込むから退院の日まで待っていたのだろうか。どちらにせよ悲しい結果。とにかくステロイド性で両足に壊死が出る確率は70%以上だし、変形性股関節症だってみんな両足にきてる。だから片足だけで終わったなんて、言えないのだ。今さら、右も壊死だからって泣くことはできない、けれど先生が帰ってからやはり泣きたかった。24の時にUCになって、その時の日記を見たら、私の人生の中で確実に今一番下だとあったけれど、まだ下があったな。まだずっと底があったな。もうすぐ26だけどまだこの悪魔のスパイラルからは2年ほどは抜け出せそうにない。9月になったら右がもっと痛いことになっているかもしれん。そしてまた冬に手術、それまで待てないということになるかもしれない。それでも骨頭回転と自分で選択したのだ、右が痛いけれど、人工関節じゃなくて自分の骨を使うと、自分で決めたのだ。(中略)
 最近いつもこんなことを考えているが、何かが起こった時に失ったものの数を数えるものは生き残ることはできない、わたしが常に心にとめている言葉のひとつだ。私はこの病気でいろいろなものを失ったけれど、もっとひどいことだって起こり得るはずだったのだ、と思う。もっとひどいことだって、起こることだってあるはずなのだ。それなら私は自分の病気を受容し、うまく折り合いをつけていかなければならない、と改めて思った入院生活であった。



退院後は外来にてリハビリに通うことになりました。私の手術した大学病院では、リハビリは入院患者のみ対象で、外来では行ってないので、紹介状を書いてもらってとなりの病院に行きました。週2回ほど通っています(10月終了)

リハビリの経緯
 4月  左足加重1/3 15キロくらい。屈曲70度。5月靴下はけるようになる。
 4/28より加重1/2。左足が順調だからというよりも右足痛いから早く右への負担へらすためらしい。GW明けより凄く動きやすくなってくる。三角すわりした状態でかかとが足の付け根に着くようになる。屈曲70度。
 5月
 6月  左足加重1/2。 
 7月8月に停滞時期で、筋トレも痛いのでストレッチをしてしのぐ。なかなかよくならないのでかなりイラついていた時期。あぐら、正座OK。
 7月
 8月
 9月 全加重→片松葉許可9/2、9/27どんどん体重かけるOK。屈曲85度。
10月 リハビリ終了。10/中旬より家内で手放し歩行できるようになる。
朝のこわばりを多々感じる。
11月 11月/上旬片足立ち60秒出来る。歩くのがかなり早くなってきた。手放し歩行60メートル。
12月 やや小走りが出来るようになる。若干びっこはまだひいている
 1月 クリスタル産業のロフストを買う。杖だとかなり早い。杖がなくとも割りと早く歩けるようになる。バンドをはさんでのリハビリをする。10月より続いていた肩の痛みが上腕骨骨頭壊死と判明。屈曲110度。
 2月 (すらすら・・・?)





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