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入院するまで(H19.8)

4月からじわじわ悪かった大腸が、8/14に外来でUCと確定診断をうけました。ますます酷くなる食欲不振と血便。しかし休むに休めずな会社・・・。

8/28 
 日曜日まで夏休みだったこの週、仕事が全然終わっておらず、しかし20時から外来なので最低19時には会社でんと間に合わんというわけで、上司に帰らせてもらっていいですかというと、何で帰るンみたいなこといわれた。そうはいっても通院日やから、と言って帰ってやった。どうせ明日になったら明日で仕事あるし、仕事は終わりが無いので、すみませんといって帰る。

8/29 
 続・仕事は山ほどたまっているし、終わりが見えない。おまけに仕事上のミスが重なり、初・始末書を書かせられる。上司はただただ私に対して怒ってるし。しんどい上余計落ち込む。8月からもうほとんど食べる気がなかったが、昼はモスでコーンスープだけ食べる。疲れすぎて言葉もでない…。会社は冷房を切っていたが手足が紫に変色するくらい寒くて(レイノー症状?)特急乗って帰った。

8/30
 そして朝方熱は38度にあがる。仕事休む。病院行って点滴する。夜1時に38.5度でピーク。頓服を飲む。4時ごろ36度台。しかし7時頃また37度台になる・・・。



熱が異常に上がり、緊急入院することになりました。。
  スケジュールはこんな感じで進んでいきました。
  日付に下線が入っているところをクリックすると、詳しい日記が見れます。

8月26日 27

28
外来通院
  
29


30
外来で
点滴
31
緊急入院
9月1日
点滴&
絶食

絶食
3
絶食
4
おかゆ
開始
5
6
エニマクリン
7
内視鏡と
注腸造影検査
8
外泊
9

10
特定疾患申請書
提出
11
12

13
14
15
退院

8/31
 レントゲン、尿検査→入院
 かなり会社行く気だったが、朝シャワーを浴びたらめまいがして断念。また休むといったら上司にネチーといわれた。もう知らん。朝8時に38度、しんどいので9時に頓服、11時に一旦下がり37度台。しかし12時くらいからまた爪が紫になり、ありえないくらい寒さを感じるようになる。1338.2度になり、頓服まったく効かず。仕方が無いので働いていた母を呼び出して、病院に連れて行ってもらう。この時点で手足は紫に染まっており、寒気するのに熱だけがあがり39.1度。息も苦しく半死状態に陥っていた。
 病院につくと先生がおり、レントゲンと尿検査をすると大腸にガスがたまっており、腎盂腎炎を併発していてかなり危ない状態とのこと。というわけで即刻入院とあいなった。その後、点滴を3本し、ステロイドの点滴を1本する。りんごジュースだけやほうじ茶だけを飲んでいた。夜会社に電話。血便なので入院してからもトイレにいきまくる。


9/1
 血液検査、心電図、CT、点滴3本、抗生剤2本、ステ1
 朝から各方面にメール。着替えたけど、かなり汗をかいていた。点滴が効いたのか、かなり熱はさがり35度台。そうこなくちゃ。私の平熱は35度なのである。8月になってほとんど何も食べてなかったが、あらためて絶食ということになると何かを食べたく思うのが人間の性というものでして…。カルピスを飲んでいた。


9/3
 点滴3本、ステ1
 明日からおかゆ開始に泣けてくるくらい嬉しいのである。とにかくこの3日はサンドイッチやラーメンやパスタや天丼などの絵を描いて過ごした。こんな時に村上春樹の小説は読んではいけないのだ。食欲をそそるほど描写がとっても上手いから。


9/5
 点滴3本、ステ1
 今日から五分粥。何故か昨日の夜からまた38度の熱が出て、夜中はまったく眠れなくて、看護婦さんに抗生剤の点滴を夜中してもらっていた。そしてこの日もまだまだ熱は続く。


9/6
 エニマクリン食べる
 朝から下痢をしている(血液入り)。とてもお腹が痛いし、足も痛い。間接痛は副作用らしい。朝、エニマクリンというものを食べる。明日が検査をするため、それ用の消化のいいごはんセットみたいなのだ。しかしこれのほうが病院食よりも味が濃くて美味である。朝は卵粥、味噌汁。昼はおかかのおかゆ、15時にポタージュスープ。16時に下剤を飲む。このエニマクリンというのは丁寧にお菓子も付いていて、ゼリーとクッキーとビスコがついていた。38度の熱は一旦下がったがそれ以降も37度台が続いている。平熱が低いから37度でもだいぶしんどい気がする。


9/7
  大腸内視鏡と注腸造影検査
 朝絶食して9時からショートファイバー。内視鏡である。何回やっても内視鏡は慣れない。早く終われとただただ祈っていた。その後注腸造影検査のため浣腸をし、足などを固定されてジェットコースターみたいにぐるぐる回る機械で検査をする。かなりしんどい・・・。帰ってきてから蒸しパンを食べて、昼食も食べる。午後から先生と面談があった。午前中のその検査の結果、直腸辺りよりも内部が悪く、最初の熱は腎盂腎炎の熱だったが、結局は潰瘍性大腸炎が悪くて入院してるとのことでした。先生は明日退院させるつもりだったが、検査の結果が良くなかったので、ちょいと延期するとのことだった。それを聞いてかなり失望したわたし・・・。早く出たい。


9/9
 失望したわたしを見たからなのか、外泊していいとのことだったので、昼から外泊をさっそくとりつけることにした。図書館に行き読むべき本を借りて、それから本屋にも連れてってもらい3冊ほど買う。


9/11
 最近ステロネマという注腸になれてきた。これはわりとあたためるのがコツである。ステロネマやってから血便も出なくなり調子が良いが、昼間まだ37度くらいあるのが気になる。元気なので110時間くらいの勢いで読書する。先生がやっと特定疾患の申請書を書いてくれたので、保健所に提出しにいってもらう。しかし出した日から適用なので、それまでの分は払わなければならない。10万くらいかかるかもしれないな。ただその紙だけではなくて、源泉の証明や、住民票などもいるから結構面倒くさい手続きのようだった。


9/15
  退院
 そして退院の日。結局16日間も入院していた。社会人になってからこれほどまでに長期の休みをもらったことはなかったと思う。でもこうなるまでに悪くなっているという傾向はあった。便は時々失禁するし、パンツの替えももっていくようになっていた。あれは今から考えればかなりまずい。5月にも一回熱があって救急で運ばれていたが、その時会社を辞めることはできなかった。まだ正社員になってなかったからだ。でも今は正社員になることができた。努力で売り上げを達成したからだ。でもこのまま続ければ年末までにまた悪くなるだろう。たとえ部署を変えてもらったとしても、家からは遠くなるし、会社の体育会系的な気質は変わらない。何せ社訓に仕事はきびしめにする!とか書いている会社だものな。そして今やめなかったとしても、いずれこの先辞める会社なのかもしれないな。でも辞めるとなったらまた探すのに時間がかかる。仕事が見つからなくてイライラするかもしれない…。
(その後退職することになりました。)



退院後は、食物の重要性を認識し、半年近く毎日食べてたものをつけていました。しかし当時の食事メニューを見ると、酢豚とか、ベイクドチーズケーキとか結構な脂質ものも食べており、食べてはおなかが痛くなって反省して、しかし誘惑に勝てずまた食べて、反省してを繰り返していたと思います。

薬で血便はおさまったものの、ステロイドのせいで顔がどんどん丸くなっていき、周りにも太ったね、元気そうだねとか言われる日々でした。またステロイドの食欲増進という副作用もあって、退院直後48kgだった体重が、1か月で57kgに・・・。その後12月にはベスト体重の52kgまで戻りましたが、ステロイドの錠剤はずっと20mg程度は飲んでいました。ステロネマは朝、夕1本ずつなのでかなりの量のステロイドをとっていたのです。

また膝などが痛く、長い間間接痛に悩まされていた気がします。長い距離を歩くということが、足が痛いためにゆっくりとしかできませんでした。そのため退院後一人旅にでかけたドイツで、森の中を歩いて3kg先の駅を目指しているとき、足が痛くて痛くてもう歩けなくてかなり心が折れそうになりました・・・。しかし12月くらいから再び下血し始めて、よくなったり悪くなったりを繰り返し、薬ものまなかったりのんだりで、2月にまた入院となりました。病気の根は深いということを再認識したわけで・・・。




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